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ディレクターとは、自分を見つめる行為 [ゴスペル]

この記事、三年前の今日書いた記者。
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いろいろ思案する出来事があり、ディレクターっていう仕事は、いったい何なんだろう、、、って思って、いろいろ調べてみた。

そしたら、こんな記事を見つけた。

「ディレクターとは、自分を見つめる行為。
たとえ同じことをやったとしても、誰も同じにはならない。
自分にしかできない仕事がある」

なんか、すーっと、自分の中に入ってきたんだよね。

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「ディレクターという言葉は、いわゆるカタカナ英語だが、英語のDirectorは、よく「監督」と訳される。

映画監督などが良い例だ。ここにも「監」という字が含まれる。となると、ディレクター(監督)は「プロジェクトをかんりする人」である、とした場合の「かんり」は、当然「監理」の字が適当なはずである。

さて、この「監」という字だが、漢和辞典などで調べてみると、もともとは、「人が身体を屈めて、水鏡を見ている」という意味らしい。鏡を見る→鑑みる(かんがみる)の原字でもあり、転じて「上から見る、見張る」という意味に用いられる。

現在では、専らこの、(他者を)「見張る」意味で使われることが多いような気がするが、同時に、自分を見る、手本や戒めとする、という意味もある。

ディレクションというと、何となく「人をある方向に導く」というような「他人(ヒト)に働きかける行為」のイメージがあるが、語源からすると、「(他人ではなく)自分を見つめる行為」である、とも言えるようだ。

だからこそ、誰がやっても同じようにはならないのだろう。

我々の仕事は、デザイナーやイラストレーターのように、目に見える分かりやすい作品や実績という形では表には出てこないが、確かに、そこには、その人の個性や「らしさ」が出てくるのだから…。

#ディレクター #ゴスペル #監督 #鏡
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